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良薬くちにアメル

酸いより甘いより苦味が強い、日々の記録を残していきます

サラダを取り分けない女にも悩みはある

先週つつがなく合コンを終え、また少し休憩期間に戻ってしまった。いまはアプリでメッセージを交換していた方とたまに通話をするくらいで、11月同様、劇的な進展はない。

ただ、久しぶりの合コンや、相手と通話している時の自分を振り返り、少し引っかかった、というか、意外と難しいと感じたことがあった。

 

男女ともに、結婚相手や恋人に求める条件として挙げられるものは、だいたい相場が決まっている。なかでも多く挙げられるものが「優しさ」だと思うのだが、雑誌などにそう書いてあるのを読んで、世のひとはどのように感じるのだろう。

正直、私は「これはできるからまぁいいや」とスルーして、すぐ他の項目に目を移すと思う。思い返すと、かなり昔から他人(好きなひと)に優しくできるという謎の自信がいつもあった。

実際、多分私は不親切なほうではないし、年下の世話を焼いたりもする。しかし、結婚相手や候補の女性に求める「優しさ」が具体的に何なのか、と考えると、私には案外想像するのが難しかった。

最近ネットなどで「合コンでサラダを取り分ける女」の揶揄を何度か見かけた。私は彼女たちに対して「合コンの趣旨を理解していてやる気がある」「積極性のアピールは大事」「私の代わりにめんどくさいことをやってくれる」と思っているので、不快な感情はないのだが、それが優しさかと言われると、まぁ違うのかな、と思う。一般的には「見当違いの優しさ」だから、あれほど揶揄をされているのだろう。

多分私は「優しさ」の正体について、もっと早い段階で考えなくてはいけなかった。今まで「ピンとこないけど、試しに付き合ってみるのもいいか」と思うひとはみんな優しそうだったし、優しそうではないひとは、ちょっと見た目が素敵でも話が面白くても、だいたい敬遠してきた。もちろん私基準の「優しそう」ではあるが、こうやって自分にとって「優しそうか否か」を基準に、バサバサと足切りをしながら候補探しをしているひとは、一定数いると思う。そういうひとに対しては「優しくできる」ではいけないのだ。第一印象の時点で「(そのひとが思い描く)優しそうなひと」でないと、私なりの優しさを本領発揮する前にふるい落とされるかもしれないから。

優しさ、好意、共感、尊敬、個性など、好ましい相手や好かれたい相手にアピールしたい気持ちの種類は多岐にわたる。どれもが独りよがりにならないよう気をつけるのは実に難しい。相手にとって何が優しさなのか、どう伝えればいいのか、正解はひとによって多少違うのだろう。

私の場合、最近はもっぱら通話でコミュニケーションを取っているので、視覚の情報がなく、余計に難しく感じるのかもしれない。なんだかやけに相手のご機嫌を伺っているな、という自覚がある。

まぁ、こうやって「全然うまくできなくて凹む」と思えるのも、そんなに悪くはない。相手の粗探しに夢中になるより自分の欠点が気になる、という方がはるかに健全だし。

と思ってしまうのは、自分に甘すぎるだろうか。