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良薬くちにアメル

酸いより甘いより苦味が強い、日々の記録を残していきます

謙遜と女子

人には多分「謙遜しておけば間違いない」という認識がある。手土産のケーキを5個選ぶとき、とりあえずモンブランを1つ入れておくくらいの高確率で、人はここぞというときには謙遜パフォーマンスを披露する。と、思っている。

 

男性同士の会話はあまり聞いたことがないのでわからないが、女性は謙遜コミュニケーションを重視する傾向が、ある気がする。「えーそんなことないよ〜」がスマートに言えない女性は、メスの群れの中では少し浮く。特に職場などの閉ざされた群れでは「空気読めないひとなのかな」と思われ、信用を得にくいのではないか。

 

以前の街コンで、攻撃的なまでに謙遜する女性に出会った。攻撃と謙遜とは一見矛盾したものなのだが、ところがどっこい矛盾しないのだ。

「お姉さんほんと美人ですよね!!!私ほんとブスなんで!デブだし!この中で1番ババアだし!いいとこないんで!!!は!?!?お姉さんがブスだったら私どうしたらいいんですか!?!?死ぬしかなくないですか!?!?何言ってんですか???お姉さん超美人ですよね!!!!マジ一緒にいるの恥ずかしくて帰りたいです〜〜!!!!!」というのが延々と続く。地獄。私の精一杯の謙遜に、もはや何の意味もない。自分を卑下し、相手を褒めながらも常にアグレッシブで、まさに攻守一体のプレイスタイル。あの攻撃性を発揮する場が街の居酒屋ではなくサッカー場だったら、良い選手になっていたと思う。彼女もどこかでコミュニケーションに苦しんだことがあり「謙遜すれば間違いない」と学んだひとりなのだろう。ぶつかって、失敗して、散々悩んだ末にあの拗れたスタイルになってしまっているのが、少し悲しい。

 

こんなことを書いてはいるが、私はあまり謙遜しないし、謙遜パフォーマンスが好きでもない。大体、多くの人は「いえいえ私なんか」と言われること自体が気持ちいいのではないはずだ。私たちは「いえいえ私なんか」で一旦褒める流れを断ち切るのが気持ちいいのだと思う。なぜかといえば、そうすればメリハリのある会話が続けられるから。メリハリというと感覚的すぎるかもしれないが。


まあ「かわいいね」と言われて「そんなことないけど〜この前も駅で声かけられちゃって〜なんで私に声かけたのかな〜この前も〜」と中身のない自分語りが始まってしまえば、冒頭の「そんなことないけど〜」に意味はない。誰かの一方的な自分語りが始まると、私なんかは「あっメリハリがなくなったな」と感じる。逆に「確かに私はバッパから村で一番の小町って言われて育ったわ。でもあなたも最近小町みが強いと思う。髪を切ってから大人っぽくなったよね」と、相手にボールを返すような返答は「とりあえず謙遜」より私好みだ。せっかく相手から頂いたありがたい褒め言葉を、謙遜パフォーマンスのために「いやいや全然そんな」と否定するのはもったいないし。女性同士で肯定マシマシ会話をすると本当に楽しいので、経験のない方は試してみてほしい。

 

ただここ最近に限っては、肯定マシマシ謙遜抜き自慢大盛りトークが難しいな、と感じる。というのも、婚活アプリで見かける男性の自己アピール文が、自慢のように感じてちょっと鼻についたり、逆に卑屈に見えたりすることがある。

あの手のプロフィール文は、自分のセールスポイントをできるだけ書き起こしつつ、好感度も下げないようにしなければならず、確かに匙加減が難しい。ちょっとした印象の悪さは「書き方のせいかもしれないから」とあまり気にしないようにしているが、そもそも私の自己アピール文だって、一体どういう印象を持たれているのか。考えるとそれは少し恐ろしい。