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良薬くちにアメル

酸いより甘いより苦味が強い、日々の記録を残していきます

JUST COMMUNICATION

近頃、ロマンティックな恋愛に憧れながら、私の求めている恋愛の形はロマンティックはとかけ離れているのかもしれない、と気付いてしまった。どうにも私は実績主義なのだ。

例え話が少し突飛になるが、世の中にはひどい暴力を子供に振るったり、暴言を吐く親がいる。それをいくら「愛しているから」「しつけの一環だから」と言い繕っても、子供からしてみれば「愛しているからだと言ってくれた」という喜びよりも「怪我をさせられた」とか「酷いことを言われた」というほうが印象的であると思う。なんと言い訳しても、親が子供に残した実績は暴力だけだ。

犯罪レベルの話ではなくとも、私は「結局何を受け取ったか」を気にする傾向がある。もちろん受け取るものはプレゼントに限らない。恋愛の場合でも、信頼や安心、楽しさや共感などを得るための情報やアクションを、どれだけ交換し合えるか、を重視している。当然暴力は論外だ。ここからは「会話すること」についての話をしたい。

結局、婚活とか恋愛とか呼び方は変わっても、それらの本質がコミュニケーションであることに変わりはない、と、近頃思う。「相手にこれをしたらどうなるか」をろくに想像できないならば無理に駆け引きなんてしない方がいいし、雑誌で研究した小悪魔テクニックを闇雲に使ってお互いの混乱を招くより、真正面から相手に向き合って「あなたのことを大切に思っている」と言った方が間違いなく好意を伝えられるからだ。

20世紀くらいから伝えられる伝統のテクニック(さりげないボディタッチとか)は、なんとなく今でも私たちの身の回りに生きている。「なんだかこの子気になる」とか「オレのこと好きなのかな?」とか思わせるのは、恋愛において有効かもしれない。しかしどんなに思わせぶりなことをしても、その後デートに誘わなかったり連絡を入れなければ意味がないと思うのだ。なぜなら、唐突なボディタッチだけでは意味がわからず、たいした実績が残らない。「この子はオレに気があるけど、自分から誘うのが恥ずかしいんだな。よし、オレの方から誘ってみよう」なんて連絡を入れてくれる親切なひとはなかなかいないし、なんだかヤリモクにしか引っかからない気がする。

案外、世の中には自分からアプローチすることがみっともないとか恥ずかしいとか、恐ろしいとか負けだとか感じる人が多いのだ。

婚活という、同じ目的の男女が集まっているのがわかりきっているシーンでさえ、往生際悪く「お高くとまっている」としか見えない人もいる。彼らは、いつだってできるだけ傷つきたくないのだろう。そして、愛されるためにどう行動すればいいのかわからず、悩んでいるのだろう。

「あなたに興味がある」までは、誰でも言える。「あなたのことが知りたいので教えてほしい」も、まぁ言える。

「私はこういう人間で、こうしたいと思っている」

「あなたがこうだから、好感を持っている」

「自分はこういう立場で、こう考えているので、信頼してほしい」

「あなたはどう?」

こういうことも、私は言葉で交換したい。ひとは口で言わなければわからないのだ、ということは、大人ならばもうわかっているはずだ。

他人が何を考えているかなんて、いくら想像して悩んでも的確にわかるわけがない。それなら「そんなこと考えればわかるでしょ、なんて絶対に言わないから、不安になったら何でも聞いてよ」と一声かけておくほうが、よっぽど建設的だと思う。かつては誰もアルバイト先の先輩に「わからないと思ったらやる前にすぐ聞いて!」と言われていたと思うのだが、仕事でも恋愛でも同じようなものだ。ゴミ袋がしまってある場所も使える商品券の種類も、知らないものはいくら考えたってわかるわけがない。

私は少し前まで適切なコミュニケーションが足りない状態であれこれ悩んでいたのだが、だんだん「考え方の違い」以外のことで悩むのがバカバカしく感じるようになってきた。今思えば、自分の妄想で勝手に悩み怯えているのは、相手に対しても失礼な気がする。もし、ちゃんと話し合ってほしいと頼んでも、自分の世界での妄想を優先し、コミュニケーションを疎かにする相手ならば、残念だが「ここに実在する私」に対して真摯ではないのだな、と思わざるを得ない。たまに、そういう「無駄に悩むのが好きなひと」はいるけれど。

まぁ、私だって「言わなくてもわかる」という関係に憧れる気持ちはある。だけど、それは応用問題だということを失念してはいけない。好きなものや時間の使い方、金銭感覚や笑いのポイントなど、基礎問題が解けて初めて進めるステージだ。

 

なんでも言葉にして伝えることは、ロマンティックとは少し遠いかもしれない。胸を焦がすような情熱的な恋や、甘い感情とも違うかもしれない。しかし充分な信頼関係さえ築ければ、甘さは後から付いてくるのではないかな、と思うのだ。正しいレシピで上手にスポンジを作ることさえできれば、生クリームがうまく塗れなくても、苺の形がいびつでも、きっとおいしいケーキになると思う。