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良薬くちにアメル

酸いより甘いより苦味が強い、日々の記録を残していきます

結婚相手を決めるプロセスが逆だった説

他人のSNSやブログを見ながら「そんなの結婚する前に確認しなよ〜」とか「なんでそんなに許せないところがあるのに結婚しちゃったんだよー」とか妙に上から目線で思うことがある。「このひとたちは、どうして結婚に至ったの?」という謎にぶち当たりがちだったのだ。

もしかして、私が当たり前だと思っている「結婚相手を決めるプロセス」が、実は当たり前ではないのだろうか。

 

私の今年の婚活はアパマンスタイルだった。

不動産会社で写真と間取りを見て、内覧をし、水回りやクローゼットの中まで見学して、「西向きだけど駅が近いのが良いねぇ」なんて言っているお客さんのように、すごくすごく相手を吟味をした。一通り吟味し、他と比べたりしながら「この部屋にします」と、満足のいく結論を出すつもりだった。

だけど、実はそのプロセスが逆なのでは?

間取りだけでピン!と来たら「この部屋にします!」と即決。不動産屋さんの運転する車の中で都市ガスかプロパンかとかの説明を受けながら、1番最後に内覧なのでは?

そう思ったきっかけこそ、冒頭の「なんでそれを確認しないまま結婚に至ったの?」という問いである。「ロフトの天井低すぎて物置にしかならないよ」とか「ガスコンロだと思ってたらIHだった。ラッキー!」とか。間取りだけ見た時点で決めて内覧が後回しだったから「わからなかった」あるいは「決定する時点ではそこについてまったく気にしなかった」のではないか、というのが私の考えた結論だ。

結婚を決定する、と書くと語弊がある。なんと表現するのだろう。「私はこのひとと結婚するとして行動することにしよう」という「決意」だろうか?少なからず「パートナーにぴったりなひとを見つけた!」というようなニュアンスがあると思っていて、それが強いと「ビビビッと来た」というやつになるのではないか、と考えているのだが。

とにかくまず、誰かひとり「このひとと結婚しよう」とほぼ直感で決めたひとに集中すること。それからそのひとと籍を入れるためにルートを導くこと。そしてそのひとについての情報収集をしながら籍を入れるなり同棲するなりして、お互いの理解はおいおい深めていく、という順番こそ世間では王道なのではないか。

と、ここまで書いて気づいた。

この集中スタイル、昭和じゃん。

昭和かどうかは知らないが、この前金ローで観た「鎌倉物語」もこのスタイルだった。親戚のおばちゃんも集中スタイルで結婚したようだし「なんか、わりと出会ってすぐ、このひとと結婚する気がしてたんだよね」とは巷でよく耳にする台詞である。これで実際に結婚した場合も、集中スタイルに分類していいと思う。

改めてまとめると、あれこれ吟味してから「よし、このひとと結婚しよう」と決めるのではなく、第一印象が良いひとや希望の条件を満たしているひとに出会ったら「私はこのひとと結婚する」と決めて、それからアプローチする(結婚生活のヴィジョンを提示したり、生活スタイルのプレゼンをする)のが要領のいい婚活なのではないか、という話だ。

この可能性に今まで気づかなかった自分に、独身の才能を感じる。私にはそんな決断力がまずないし。

そういえば、以前「自分で決断できないせいで婚期が遅れる」というようなことを少しだけ書いた。

女友達の壁を超えて来い - 良薬くちにアメル

最初にほとんど勘だけでひとりを選ぶのって、ものすごいエネルギーを使いそうだ。シックスセンスはおろかセブンセンシズまで目覚めていても私には難しいと思う。

おそらく私よりも目的意識の強いひとや長いスパンで物事を計画できるひと、そして決断力のあるひとにとって、この記事は「なにをバカなことを言ってるんだろう…」と溜息が漏れるくらい当たり前のことなのかもしれない。けれど私は「相性チェックもそこそこに、先にターゲットを定めてしまう」という手があるのだと、本当に今まで思い至らなかったのだ。

これは想像だが「キミに決めた」と集中することにほとんど迷いがなく、それを決めること自体はそんなに困難ではなかった、というカップルもいるのだろう。そういう場合はどちらも「(ひとまず)キミに決めた」と思っていて、お互いに集中するから事がスムーズなのかな、とか、わからないなりに妄想は尽きない。なんとなく「あっ、このひとに決めよう」と自然に思えるひとは、普段から「ちょっとした決断すること」にいちいち抵抗を持たないひとなのではないかな、と思っている。今回はまだそんなに色落ちしてないけど、月に一度ヘアカラーすると決めているから明日美容院に行きますよ、というようなところがあるひと。日常で決断ができるひととは「でもな〜」と言って無駄に迷わないひとだ。

べつに必ず集中スタイルで結婚相手を決めなくても構わないし、私のアパマンスタイルが間違っている、というわけでもないのだが、世の中にはそういうやり方もあるのでは?と気づいたからには無視はできないなぁ、という話でした。

 

私が見てきた中では、婚活をしているひとは「恋が先か、結婚が先か」の二手に分かれる。

一方は、恋に落ちたひとと結婚したいひと。

かたや一方は、まず「このひとと結婚できそうか?」という点をクリアにしてから恋に取り掛かりたいひと。

私はどうしたって後者だと思っていたけれど、今は「本当にそうだったかな?」と疑問に思う気持ちがある。なにしろ勇気がない。きっと決断ができない。婚活って、確かにわざわざ迷いにいくためにやっている節はあると思うけれど、まだまだ婚活への覚悟が足りていなかったのだなぁと、目が覚めたような気分だ。

ちょうどよく目が覚めたところで、2018年が終わり、2019年になる。きっとそこは今日までとは少し違う世界のはずだ。というと、なんだかマトリックスみたいだけれど。

来年も、目の覚めるようなことがたくさんあるといい。私なりの直感も駆使しながら、悩みすぎず投げやりにもなりすぎず、曇りなきまなこで見定めなければ。いや、難しいな。

難しい、と感じるのは、まだ自分に結婚相手を決めるだけの自信や積極性がない証なのかもしれないけれど。いま一度、自分と向き合う時間を挟むべきかもしれない。まぁお正月休みだし、ちょうどいいかな。

それでは皆さん、良いお年を。