自立するために障害福祉手帳を申請したはなし
精神障害と聞くとやはり外聞の悪いものだろうか。先月、私は障害者手帳を申請した。生きるために必要だったのだから、外聞がどうとか言っている場合ではない。障害年金の申請をしたときも、いつかするかもしれない結婚のことが頭の片隅にあった。誰に向かってかはわからないが「あなたのお金がなくても私は何とか病院には行けるし、餓死はしません」と言えるようにしたかったし、今でもそう思っている。
私の場合はほとんど体質による問題なのか、以前に大学病院で「症状が多すぎて病名が付けられない」と言われた。健康な期間とそうでない期間がランダムに訪れるのだが、今年は今の時点で、健康な期間がほとんどない。慣れたもので「まぁ数ヶ月もしたらこんどは良くなるはず」と、強い危機感はあまりないのだが、数ヶ月に渡り収入が途絶えるのはとんでもないストレスだ。それに、たまたま今は休ませてくれる会社にいるが、将来どうなるかもわからない。今年の長引く体調不良はその不安を大いに煽った。この先体調がどうなっても生きていくため、格好良く言えば自立するため、主治医に診断書を書いてもらうことにしたのだった。
以前友人と自立の話をしたことがある。多分私は死ぬまで自分が思い描くような立派な大人にはなれないし、私はバカだとか、貧乏だ貧乏だとか言いながら死ぬと思う。言うなれば、一生自立できない。もっと自立したら、とか、自立できたら、とかは、ろくに買いもしない宝くじが当たったら、と同じくらい現実味のない台詞なのだ。
たとえ自立できていない私でも、いまやらなければならないと感じたら、それはきっといまやった方がいい。月日だけがいくら経ったところで、自分がより良い人間になる保証はないからだ。体調だって、今より良くなるとは限らないのだから。
そんなスタンスでガンガンやってきたものの、あまりに仕事を休みがちだとやっぱり「自立できていないなぁ」と思ってしまう。会社を辞めて何も考えずに身体を休めたい気持ちもあるが、意外と私は今の仕事が好きなので、それも嫌なのだ。
婚活の最中に無職になることへの抵抗もある。
在宅ワークでなんとか小銭を稼げるようになりたい、と焦りつつ、ブログを書く以外特に何もしないでいたら、いつの間にか夜が明けていた。