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良薬くちにアメル

酸いより甘いより苦味が強い、日々の記録を残していきます

モテない男を好きになると

女性サイトDRESSで浅田悠介さんが連載している「わたしは愛される実験をはじめた。」は、最近私の中でブームになっている。待望の最新話を、噛みしめるように拝読した。

 

今回は「私たちはモテそうな男ばかり好きになってしまう」がタイトルで、前のめりになればいいのか後ずさる用意をすればいいのかわからないまま読み始め、3回読み返した。

 

まぁ、その通りだった。

ぐうの音も出ない。

 

以前友人に「なかなか人を好きにならない」という悩みをグダグダと披露していた自分が恥ずかしい。確かにそれはそうなのだが、思い返せばモテるひとのことは毎回ちゃっかり好きになっていた。それはもう猛烈に、言い訳の余地なく恋していた。

「人を好きにならないということは、人の魅力に鈍感なのだろうか?私は他人への興味が薄いのか?」などと考えたこともあるが、人間らしい人間だということが判明して良かったかもしれない。

 

しかし、実はモテそうもない雰囲気の男性を好きになったことが、1度だけある。すると私はどうなるか。

好きになったことに気づかないのだ。

「面食いの自分がまさか」と、勝手に「なし」だと思い込んでしまうらしい。

私は岡山県の大学を休学し、実家のある仙台へ戻ったあと「もう二度と会わない人もいるだろう」と思いを巡らせているとき、ある先輩に恋をしていたことに気づいた。もう会えないと気付いたら、無い物ねだりで急に彼のことが欲しくなったのかもしれない。キャンパスで一緒に過ごしている間、本当に彼のことを好きだったのかは、今となってはわからない。しかし、もし在学中に彼と交際していたら、彼のことを大切に思えたかもしれない。それもわからない。

 

学生中に交際した相手と穏やかに愛を育み、卒業後結婚して、今も穏やかに仲睦まじく過ごしているカップルを何組か知っている。

彼らの愛は劇的ではなかったと思う。双方が互いに恋をしていてスタートした交際でもなかっただろう。だが彼らの愛はいまだに続いている。学生時代の関係は新芽のように脆かったのかもしれないが、時間をかけて築いた信頼関係は、いまや大樹のようにどっしりと確立されているように思えるのだ。私が気づかず取りこぼした恋も、もしかしたらそういう穏やかな愛になっていたかもしれなかった。可能性はゼロではない。

 

できれば同じ過ちを繰り返したくないな、と思っている。繰り返しになるが、人を好きになる、というか、特別に思うということは、私にとってはなんだか難しいことなのだ。好きになったら早めに気づかないと勿体ない。

 

結局、30歳を過ぎた今でもあのとき恋をしていた先輩の顔を思い出し、くどくどと自分に言い聞かせる羽目になっている。

「思い出して。私はイケメンじゃなくても、ちょっとふくよかでも、喋り方が南キャンのやまちゃんみたいでも、わりと好きになるよ」と。