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良薬くちにアメル

酸いより甘いより苦味が強い、日々の記録を残していきます

ファッションの徒然

先月初めて参加した街コンで、看護師をしているという女性と少し話をした。

「31歳なの?見えないね、若いよね」

私より少し年上らしい彼女にそう言われて、思わず尋ねてしまった。

「といっても、31歳っぽい見た目ってどんな感じなんですかね?」

 

友人たちの間で「30歳になったらどんな服を着ればいいのかわからなくなった」「学生っぽい服はもう着れない」という話題は最近の定番だ。落ち着きのある服装、品のあるメイク。それらを嫌っているわけではないが、自分にそれを強要することにはなんとも言えない違和感があるし、反発したくなる。

30歳になったとき、急におしゃれの自由が狭まったような気がして、歳をとるのは悲しいな、と思った。だが、決してあれも着られない、これもダメ、と不自由になったわけではない。ビスクドールのドレスのような、レースやリボンが付いた服を着たければ着ればいい。ただし安っぽくないものを。ミニスカートだって好きならば履いていいのだ。ただし品のあるものを。ファッションの選択肢が狭まったわけではない。より上級なスタイルへと「自分に似合う服」がシフトしただけだ。

 

メイクに関して言えば、私は20代の頃より自由になった気がしている。

若い頃の私はアイメイクが似合わなかった。「わざとおばさんっぽくしているみたい」と感じて、薄化粧を心がけていた記憶がある。カラフルなアイメイクを楽しめるようになったのは28歳頃からだ。

 

とはいえ「何を着るのがふさわしいのかわからない」という悩みは常につきまとう。私たちは「ふさわしいファッション」について考えるようになった。以前よりずっと、真摯に考えるようになった。

 

ファッション誌でパリコレモデルの写真を見ていたとき、そばかすだらけのヌードな肌が素敵だ、と感じた。

ファンデーションをきちんと塗らないのは、アラサー女性にふさわしくないので真似できないけれど。似合うかどうかもわからないし。

こんな風に考えていると、「囚われているなぁ」と思う。ファンデーションをつけろ、こういう服を着ろと、誰に指図されたわけではないし、言われたからといって、私は平気で聞こえなかったふりをするタイプだ。なのだが、ファッションについて考えだすと、自ら檻の中に入っていく傾向があり、ちょっとした自己嫌悪に陥る。

 

「どういうメイクと服装がアラサーっぽいか?」と考えるのは、自信がないのだろうな、と思う。周りからはみ出さないことが大人になるということだった。誰とでもうまくやるということ、なるべく誰からも嫌われないこと。そのためには「一般的にアラサーっぽいとされる格好」が必要なのだろう。

つまり、疲れているのか。誰に嫌われても構うものか、という気概がないというか。そんなことにエネルギーを使う余裕がないというか。「アラサーっぽい服」は「1番疲れない服」なのかもしれない。

 

似合う服と似合わない服がわかるようになってしまった大人の私にとって、世間がなんだ!と眉尻をあげていた頃の自分のことは、今となってはなんだかかわいくて愛しい。おばさんになるからっておばさんみたいな服着るなんてバカみたい、と彼女なら言うだろう。その頃の自分のいうことも、できれば聞いてやりたい。

 

明日は何を着ようか。死ぬまで悩み続けるのかもしれない。