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良薬くちにアメル

酸いより甘いより苦味が強い、日々の記録を残していきます

きらいだったシミ

数年前、ある雑誌の表紙を飾った深津絵里を見て「うわ」と思った。色の白い冷たそうな肌が、女優とは思えないほどシミだらけだったから。私の中で深津絵里といえば「きらきらひかる」や「踊る大捜査線」がドラマシリーズだった頃のイメージが強い。歳をとったな、と思った。しかしそのときの彼女の顔は、なぜかとてつもない魅力を持って見えて、今でもよく覚えている。

 

私にも最近シミができた。昔から日光が苦手で、日傘なしでは出かけられないほどだったが、日焼け止めはにおいが苦手で、あまりつけたことがない。そりゃぁシミもできるよね、仕方ない。安いコンシーラーを買って、以前より化粧に気を使うようになった。

しかし、コンシーラーとファンデーションからうっすら透けて見えるシミの、なんと情けないことか。あるときそのみっともなさに気づいて、私はシミのことが猛烈に疎ましくなった。うまく隠すことができても、ちょっと指でファンデーションを擦ればそいつはいつだってそこにいるのだ。うんざりする。

あるとき「深津絵里はよくシミだらけの顔を写真に撮られて平気だったな」と考えた。彼女は私と違って美人だから、シミなんか気にしないのだろう、とも思った。

 

しかしあのときの写真を思い出すと、深津絵里より私の肌のシミとそばかすのほうが、まだまし、というか、私の肌とは比べ物にならないくらい彼女の顔はそばかすだらけだったように思う。

特に考えもせず「まぁ彼女は美人だから」で片付けていたが、あのとき感じた強烈な魅力は何だったのだろう。もし彼女が綺麗にコンシーラーを塗っていたら、あの写真は私の記憶に残ったのだろうか。

私はあのとき、無理に肌を隠さない彼女の気の抜けた雰囲気と、加齢による自分の変化を恥じない堂々とした佇まいに惹かれたのだ、とすぐに気づいた。隠したい、見られたくない、醜いと思われたくない。そうやって顔を伏せ、背筋を丸くするような精神は、まったく私の性に合わない。だからあの写真に惹かれたのだ。

そりゃあシミを消せるというなら消したい。ないほうが肌は美しく見える。しかし自然にできてしまった消せないものを「あぁここにある」といって嘆くのは、考えてみれば変な話だ。

コンシーラーからうっすら透けて見える私のシミは、他人から見ればみっともないものかもしれない。でも私だけはそう思ってはいけないのだ。私だけはこのシミを肯定してやらないといけない。文字通り存在を認めて、胸を張らなければいけない。

かくして私は、シミと和解した。

女優でなくとも、美人でなくとも、目を離せないような唯一無二の魅力を放つ、あの深津絵里の真似をしたいと思った。