高校生の時から待っていたわ
高校生のとき友人が語った夢物語が、個人的に今でも好きだ。「無人島で黒人から白人までいろんな人種の男と子供を作って、三色団子みたいにいろんな肌の色の子供と暮らしたい」みたいなことだった。
私だったら、無人島でなくてもいいが、なにか寺子屋みたいな場所を作りたい。みんなで食事を楽しんだあと、お茶を淹れながら「ねえねえ〜魂があるとして、それはいつ肉体に宿ると思う〜?」みたいな話がしたいのだ。
そういう話し相手は、べつに家族でなくてもいい。でも、家族がノリノリで「え〜〜個人的には自我が芽生えた瞬間だけど、難しいところだよねー!」と答えてくれたら、それはとても幸せな環境だろう。
バカな話を真面目にするのが好きだ。どんなバカな話でもいいから、お互いに向き合って深く話し合うこと。今まではそういうコミュニケーションで充実感を得てきた。そういうやりとりができる相手に対しては、親しみの感情より先に、信頼感のような安らぎを感じる。
しかしその安らぎを得る感覚をなくして久しい。婚活はうまくいかないし、他人に対してやきもきしてばかりだ。誰からも求められず、誰からも選ばれない。自分はこの世界に馴染んでいない、と感じる。
もしかすると、私の本当の居場所はここではないのではないのかもしれない。たとえば、厳しくも美しい極北の国、戴国なのではないだろうか。
しかし戴を治めていた泰王は、謀反ののち行方が知れないとも死んだとも聞く。戴はいま、どうなっているのだろう。王の半身である麒麟・泰麒は、他国の王の力を借り、慶国から戴へ発った。果たして泰麒は王を見つけることができるのか?
2019年、十二国記待望の新刊、発売です。
〜胎果と魂の関係は、果たして今回こそ明かされるのか〜